今日はぶっとんだ話をするんで、自分が普通の人だなと思う人は、
すみませんが、ご退場ください。
今日、ここから先は危険ゾーンです。変な人だけ読んでください。
変なタイトルですけど、
言いたいことはシンプルです。
「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」
そう、マザーテレサの言葉です。
この言葉から、マザーテレサは意識の持つ力を知っていたと推測できます。
僕は今、みんなにこのマザーテレサの言葉をよく考えてみてほしいと思います。
○○がダメ、○○に反対、○○を許さない!など、世の中にはいろいろと掲げたいことが多いですけど、
そこに意識をフォーカスすることは、
実はそれは、その動きを助長しているのと同じこと。
こっちがダメ、こっちは正しい。
おまえはダメ、俺は正しい。
その理屈で進んでいくと、いつまでたってもその理屈で物事が進みます。
白と黒がひっくり返っても、また長い時間が経った後、
誰かが白と黒をひっくり返すことになる。
それは白が黒を許容し、黒が白を許容し、
お互いがお互いを認め合い、
協力や共有できるところ、譲り合えるところを少しずつ増やしていくような理想的な未来、調和を重んじる世界観とは正反対なんですね。
今我々人類がやっているやり方は「自分たちのため、子供たちのため」
と思って旧体制を崩壊させて、新しく価値観を塗り替えるやり方です。
でもそれは、いつかは、またそれを次の時代の者が塗り替えることを正当化している。
そうやって、人類の歴史は刻まれてきました。
その結果が今なんです。
価値観ていうのは時代が違えば、変わりますからね、
また永遠に、イタチごっこになるわけです。このままいくと。
人類はそろそろ、その段階、レベルを脱する時じゃないかなと思うんです。
それで、マザーテレサの言葉なんです。
「反戦集会という反対運動には参加しないけど、平和集会という平和を願う集会には行くわ」
それがどういうことなのかというと、
否定ではなく肯定する方に意識を向けていくことが正しいんだよということです。
実は意識っていうのはとってもパワーが大きいです。
そして、意識のパワーには正と負があります。大雑把にいうとね。
だから、反○○、否定○○というのは負です。
でも、肯定○○、愛○○というのは正です。
このパワー。人々の意識がどちらに偏るかで、この世の中が作られていきます。
最終的には負のエネルギーか正のエネルギーかっていう単純な分類になります。この世界は。
そしてこの正のエネルギーがうまく循環する社会、文明を築いていくことが、
今後、人類が滅亡しない唯一の方法です。
いろいろ面倒なことを端折りまして、とっても簡単に話しましたが、そういうことです。
でも、まあ、別に滅亡しないために我々は生きているのではなく、
学ぶために生きている、魂を磨き、精神的に成長するために生きているわけですから、
大きな視点で物をいうなら、別にどっちでもいいんですけどね。
学ぶためには、どうなるかっていうと、どっちも経験するんですよ。
反対してる人は、来世、反対される側に。
攻めてる人は、来世、攻められる側に。
そうやって物事の両面を経験して、だんだん真ん中になっていくんです。中庸に。
そうすれば、
望む未来をつくるためには、「否定」からは何も生み出せず、
「肯定」つまり、受け入れ、寛容、によって望む未来を作るということに気が付くようになります。
っていう変なお話しでした。
僕は農業をやる人なので、あんまりこういうことは話したくないのですが、
今、世の中はざわついているので、
一応、話しておきました。
変な話につきあってくれてありがとうございました。
価値観ていうのは時代が違えば、変わりますからね、
また永遠に、イタチごっこになるわけです。このままいくと。
人類はそろそろ、その段階、レベルを脱する時じゃないかなと思うんです。
それで、マザーテレサの言葉なんです。
「反戦集会という反対運動には参加しないけど、平和集会という平和を願う集会には行くわ」
それがどういうことなのかというと、
否定ではなく肯定する方に意識を向けていくことが正しいんだよということです。
実は意識っていうのはとってもパワーが大きいです。
そして、意識のパワーには正と負があります。大雑把にいうとね。
だから、反○○、否定○○というのは負です。
でも、肯定○○、愛○○というのは正です。
このパワー。人々の意識がどちらに偏るかで、この世の中が作られていきます。
最終的には負のエネルギーか正のエネルギーかっていう単純な分類になります。この世界は。
そしてこの正のエネルギーがうまく循環する社会、文明を築いていくことが、
今後、人類が滅亡しない唯一の方法です。
いろいろ面倒なことを端折りまして、とっても簡単に話しましたが、そういうことです。
でも、まあ、別に滅亡しないために我々は生きているのではなく、
学ぶために生きている、魂を磨き、精神的に成長するために生きているわけですから、
大きな視点で物をいうなら、別にどっちでもいいんですけどね。
学ぶためには、どうなるかっていうと、どっちも経験するんですよ。
反対してる人は、来世、反対される側に。
攻めてる人は、来世、攻められる側に。
そうやって物事の両面を経験して、だんだん真ん中になっていくんです。中庸に。
そうすれば、
望む未来をつくるためには、「否定」からは何も生み出せず、
「肯定」つまり、受け入れ、寛容、によって望む未来を作るということに気が付くようになります。
っていう変なお話しでした。
僕は農業をやる人なので、あんまりこういうことは話したくないのですが、
今、世の中はざわついているので、
一応、話しておきました。
変な話につきあってくれてありがとうございました。
追記
対処療法と根本療法の違い
例えばお肌にポチッとデキモノが出来たとき、
それをお肌トラブルと捉えて、皮膚に薬を塗り塗りして炎症を抑えるのが対処療法。
その一方、
デキモノが皮膚にできた原因は腸にあると考える人もいる。脂分が多い食事が続いたことが原因だったと捉えて、脂分を控える食事を心がけるというのが根本療法。
どっちも大切。
世の中もそれと同じ。
今の問題に敏感に反応して、問題に対して直接的な行動を起こす人もいれば、
家族や奥さんに優しくしたり、友人や知り合いに優しくしたり、愛をもって接することで、
人々の心をぽっと温かくし、覚醒を促す人もいる。
どっちも大切なこと。
短期的に有効か、長期的に有効か、
その時間軸の違いが、対処療法か根本療法か。
そのことをよく知り、人それぞれ、納得する方を選択して生きるようにしましょう。
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